東京高等裁判所 昭和31年(う)2148号 判決
被告人 中井川音吉 外一名
〔抄 録〕
控訴趣意第一点ないし第三点について。
よつて考察するのに、所論(第一点)は被告人中井川音吉は本件犯罪の実行行為に加担せず、また実行者との間に共同犯行の意思連絡もなかつたと主張するが、原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優にこれを認めることができ、同被告人は被告人小圷角蔵と相謀り、数名の人夫を使用して石沢長重が原判示水田に植え付けた稲苗を引き抜きそのあとに自己所有の苗を植えようと企て、右被告人小圷を介して原判示小圷稔等六名とも意思を通じ、これが実行としてこれ等七名をして共同して原判示稲苗を引き抜き投棄し又は泥中に埋没する等の所為に出でしめたものであるから、共同加功の意思をもつて右犯行に加担したるものであることは言うまでもないし、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項にいわゆる「数人共同して」罪を犯すとは其の犯罪行為自体が二人以上の者によつて実行されたことを言うものであることは所論のとおりであるがこの場合においても、いやしくも二人以上の者が共同してその犯罪の実行に当つた以上は予めその者等と右の実行を謀議し、しかも自らはその実行の任に当らず、その者をしてこれに当らしめた加担者もまた共同正犯としての責を負うべきものである(大審院昭和七年十一月十四日第一刑事部判決、同院刑事判例集第十一巻第一六一一頁以下、同院昭和十三年十月二十七日第二刑事部判決、同判例集第十七巻第七八三頁以下参照)から、被告人中井川吉音はたとえ所論の如く直接右犯罪行為自体の実行に当らなかつたとしても、共同正犯としての刑責を免がれない。所論(第二点)は、原判示水田に石沢長重が植え付けた稲苗は刑法第二百六十一条にいわゆる損壊の対象とならないと主張するが、水田に植え付けられた稲苗は、所論附合(民法第二百四十二条)の原理により土地の一部となると否とに拘らず、刑法上の保護法益としての財物たる性質ないし価値を喪失するものではなく、しかも刑法第二百六十一条の規定を前三条の規定内容と対照すれば所論の稲苗が同条所定の物に該当し、いわゆる損壞の対象となることは明白であるから、数名共同してこれを毀損するにおいては、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項の犯罪を構成するものと言わねばならない。また所論(第三点)は被告人等の本件行為は適法な自力救済行為であると主張するが、なるほど記録によれば原判示水田の耕作権については予ねて被告人中井川音吉と本件被害者石沢長重等との間に紛争があり同被告人の申立により昭和三十年五月下旬頃所轄水戸農業委員会から右石沢に対し同年六月十日の同委員会において結論を出すからそれまで植付を見合わせるよう申し入れたに拘らず、同人において敢て同月八日頃稲苗の植付をなしたこと、然るに同委員会は、同月十日右水田の元地主市毛淑夫及び右石沢長重間の所有権移転並びに耕作権移動の行為は農地調整法(農地法)違反であつていずれも無効であり、これが耕作権は被告人中井川にある旨議決しその後、右決議に基き、被告人中井川と右石沢、市毛間に調停を試みたが石沢の拒否により不調に終つたので、同月二十五日右決議を再確認した上その旨被告人中井川に通知したことを看取するに足り、右石沢長重が敢て原判示水田に稲苗の植付をなし、且つ農業委員会の調停をも拒否した所為が妥当を欠くものであつたことはこれを窺うに難くないけれども被告人両名としてはかかる事情のもとにおいてもなお本件行為以外の合法手段により権利の救済を求める余地がなかつた訳ではないと認められ、その権利保護の緊急性、これが救済手段としての本件所為の相当性、法益の権衡等記録に見られる諸般の情況において、本件行為をもつて違法性なき自力救済行為とする所論には左袒し難い。論旨引用の判例は財産犯の成否に関するものであり、これと罪質を異にする本件には適切でない。果して然らば、原判決には毫も所論の如き事実誤認ないし法令適用の過誤はなく、原判決が被告人両名の所為を暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項刑法第二百六十一条(被告人中井川音吉についてはなお刑法第六十条)の罪に問擬したのは正当である。論旨はいずれも理由がない。
(三宅 河原 遠藤)